まだ、ヤンヤン君のいない生活リズムに慣れません。
まったく寝られなくて、完徹してしまったり、朝の10時ごろまで、
寝坊してしまったり。
夫が会社へ通勤していた頃は、どんなに寝不足でも、しんどくても、
とりあえず、玄関で見送りをしていたので、それに合わせて起きる
ようにしていました。
でも、今は、テレワークで、一応、始業時間は決まっていますが、
夫は朝ご飯を食べないので、別に私が寝坊しても困りません。
ヤンヤン君が亡くなる前の1ヶ月ぐらいは、いつでも散歩に出かけ
られるように…と、スタンバイしていました。
これまでも、夏場はできるだけ早く散歩しないと暑くなるし…と、
がんばっていましたが、それでも、せいぜい6時ごろ。
だけど、明け方、4時とか5時なんかに散歩してみると、それほど
暑くないし、もうすぐ夜が明けるという時の、空のきれいなこと…。
私は、ず~っと夜型生活なのですが、早朝って、こんなに気持ちが
いいんだな~と、53歳にして、はじめて経験しました。
なので、ヤンヤン君がいなくても、せっかくだから朝型生活に…と、
思わなくもないのですが、今のところ、体内時計は夜型に戻ろうと
しているようです。
今も、こうやってヤンヤン君のことを書いていると、変なスイッチが
入ってしまって、目が真っ赤になってしまいます。
人から「ヤンヤン君は、ものすごく大事にされて幸せやったな~ぁ」
と言われても、そんなこと、ヤンヤン君に聞かんとわからへんし…と、
ひねくれた考えがグルグルと頭の中を駆け巡っていました。
だけど、あらためて考えてみると、特別、何か素晴らしいことをして
あげていたわけではないけど、できるだけ一緒にいるように、それは、
心掛けていました。
ヤンヤン君のためというよりも、私が一緒にいたかったから。
留守番の少ない家での生活は、まあまあ快適だったんじゃないかな~。
最後の朝、しっかり散歩して、ご飯も食べて、しばらくして痙攣発作が
起きたのですが、それから亡くなるまで、ちょうど6時間。
私にとってはとても辛い6時間でしたが、お医者さんの話を信じれば、
すでに意識はなく、本人、いや、本犬はしんどくはないらしいのです。
そういう時間が、長引かなかったことも、ヤンヤン君にとって幸せだと
思えるし、見守る側にとっても、良かったんだろうな…と。
そんなことを思いつつ、もっともっと、どんな形でも、世話をしたいと
思いますが、でも、ヤンヤン君にもらった自由な時間を大切にしないと。
ヤンヤン君がいた部屋のあちらこちらに、イタズラの跡があります。
たぶん、大人しい方だったので、そんなに派手なことはしていないけど、
それでも、やっぱりいろいろと…。
そういうのを見ると、苦笑いから、おかしくなって笑ってしまいます。
泣いたり笑ったり、情緒不安定ですが、案外、落ち着いているような
気がします。
こうやって書くことで、少しずつ現実を受け入れようとしているのかな。
ゆる~いブログですが、細々と続けていて、よかったです。